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【二次元少女コレクション序説】ロリビッチ

      2015/07/13


少女コレクション序説は澁澤龍彦の著書です。

「異常性癖」の一言で片付けられるような、そんな異端文化の数々を当事者の心理も交えて紹介する名著です。
しかしこの名著の発行は1985年。オタクこそいたものの陰の陰。宮崎勤事件が1989年であることを考えればオタクの存在自体ほぼ知られていなかった、考慮に値しなかった時代であることは間違いないでしょう。

しかし少女コレクション序説で語られた心理は、二次元という無限の幻想を可能にする舞台で培養され育ち品種改良を重ね、その対象は多様にそして加速度的に増加したと言えます。

少女コレクション序説の「少女コレクション序説」の項から澁澤龍彦の言葉を引用したいと思います。

おそらく、美しい少女ほど、コレクションの対象とするのにふさわしい存在はあるまい、と考えたからだ。蝶のように、貝殻のように、捺花のように、人形のように、可憐な少女をコレクションするのは万人の夢であろう。

(中略)

いかんせん、現実世界では犯罪のみが、かかる目的を辛うじて実現し得るにすぎないのだ。そうではなくて、私がここで読者諸子の注意を喚起せんとしているのは、少女という存在そのものの本質的な客体性だったのである。

澁澤龍彦「少女コレクション序説」より

 

「美しい少女ほど、コレクションの対象とするのにふさわしい」
「少女という存在そのものの本質的な客体性」

 これこそ二次元の少女を愛してやまない僕らの根本にある心理なのではないでしょうか。

ピグマリオン、ネクロフィリア…。
そんな心理学の分野で語られるもの以外にももっと多くの、もっと進化した「少女」が二次元に存在する。
1985年には存在しなかった少女たちを見てみたいなと思います。

※このブログを日頃読んでくださっている方はご存知かと思いますが、僕はシリーズ物が果てしなく苦手です。そのへんは暖かく見守ってくださるとありがたいなぁって。


 

【二次元少女コレクション】

ロリビッチ

何故記念すべき第一回の題材をこれにしたのか。
特別ロリキャラが好きなわけでもなく、ビッチが好きなわけでもない僕が、です。
その辺は僕自身よくわかりません。でもロリビッチという存在には二次元でしか成し得ない幻想。だから第一回にふさわしいと思いました。

1,「少女」という少女性

前者の「少女」を成熟していない年端のいかない少女、幼女とかロリとかそんな表現をしたいと思います。
後者の少女はここまで延々と触れてきた、幻想の客体としての少女です。

 

そもそも何故ロリというジャンルがこれほど熱狂的なまでに信奉されるのか。

元々はロリというのは純粋無垢の象徴だったのではないでしょうか。
汚れを知らず、疑いを知らず、闇を知らず、 そんな崇高な清さが僕たちを惹きつけるのではないでしょうか。

何も元気なのだけがロリではありません。
恋愛感情というものに上手に対処できず、好きな人に強くあたってしまうツンデレ。いとおかし。
子供にして大和撫子を体現する少女。今すぐに愛でたい。

これ以上語ると犯罪者予備軍確定なので控えます。

 

外見上年端のいかぬ少女であっても、その中身の語られ方は様々なわけです。
そしてそこにプラトンのイデアのような、概念としての純粋さを僕たちは見るわけです。それはローゼンメイデンでドール達が憧れる究極の少女、アリスのような存在。

「どんな花よりも気高く、どんな宝石よりも無垢で、一点の穢れも無い、至高の美しさを持った究極の少女」

究極の少女アリスについて、真紅より

あるいは苺ましまろの世界のような、各々が純粋であり汚れたものを一切感じさせない楽園に住む存在。

苺ましまろ好きだったらロリコンってそんなわけないでしょう。
いやもうそれならロリコンって甘んじるわ、って程度には読んだほうが良い作品。
頼むから、2年に1冊で良いから、ちゃんと連載してくれ…

これは恐らく現代社会で(犯罪を除いて)コレクション出来ないものであり、だからこそ二次元というフィールドで多くの人がその純粋さに触れようと昼夜祈り続けているわけです。

 

2,純粋さを「あえて」破壊する

純粋無垢は至高の概念なわけですよ。
汚れてしまった僕たちには永久に届かない理想のようなものが存在し、それを客体としてコレクションしたいと思うのはいささかも不思議ではない、と擁護します。擁護です。

至高の概念としての純粋無垢。
では何故多くの同人誌・美少女ゲーム・R18コンテンツで「年端の行かぬ少女」への性的欲求を煽り、一定数の顧客を得ているのかが問題になります。

 

想像になってしまうのですが、壊すことは一つの征服であり、コレクションなのではないでしょうか。
サディズムというのはこの典型例であるわけです。

で、ある客体が「暴力すら受け入れる」ということは、ある意味完全な所有物化だと思うんです。
そして「純潔」を最も壊すのは暴力よりも性的なものであるわけです。 この時に所有物化したいのはキャラクターとしての少女でなく、「純潔・純粋」(年端の行かぬ少女)の少女性なわけです。
暴力によってはこの純潔・純粋自体は消えない。
だから暴力よりも性なのです。

あるいは禁忌をベースにした説明もあると思います。
そもそも有罪無罪問わずエロというものは、基本的に禁止されているから求められるわけです。世の中の人が一切衣類を着けずに生活していたら「見えそうで見えない」にエロなんて感じないわけです。いやもうむしろ衣類をつけることで逆説的に身体的局所が強調されるわけじゃないですか。
話が逸れましたが、純粋無垢という概念は不可侵の領域なのです。
その聖域を独占しようとする禁忌。だから欲求を覚える。
仕組みとしてはエロと同様の構成を取るため僕はこっちのほうが好きです。

 

何度も言いますが、すでに汚れた僕たちは純粋無垢になることはできない。
だからこそ純粋無垢の象徴として年端の行かぬ少女を欲しがるのは一応理にかなっていると思います(何故少年でないのかはスルーします)。

しかしその少女の獲得、コレクションの方法とは一体何か。

もちろん眺めて愛でているだけでその純粋無垢の概念に触れて自己満足の擬似的なコレクションとすることは可能です。

というかそこで止まることを推奨します。平和な社会。

ただ別の方法として「コントロール下に置くことで自らのコレクションとする」という方法があるわけです。
そのコントロール下というのが性による純粋無垢の破壊、征服、独占。
犯罪はダメですよ。でもダメだからこそ崇高に感じてしまうのも人間の心理だと思うんです。

 

とりあえずここまでが、「何故年端の行かぬ少女に性的欲求を覚えるのか」の説明です。

何度も言いますが、僕にそんな性癖はありません

 

3,ロリビッチ

さて本編です。

1,で説明した「純潔・純粋」の少女性、2,で示したその破壊による征服・独占。
あくまでこれらは(一応)現実においても生まれうるものです。

純粋無垢を破壊したり征服したり独占するのはわかる。
こっちが能動的主体なわけです。欲望の達成です。

ではなぜ年端の行かない少女がビッチになるのか?
すでに純粋無垢の概念では説明ができないのではないか?これは不可避の矛盾ではないか?

 

いいですか?

現実での存在可能性が限りなく低い幻想の温床。それが二次元なのです。

 

そんなわけでロリビッチについて考えましょう。

……

 

正直ロリビッチは僕もよくわかりませんわぁ

 

 

僕「ロリビッチ 歴史 検索」

うーん、わからん…。全くもってわからん。歴史もわからなければ魅力もわからん。
「ロリビッチ 過程」とかで調べたら成長過程が云々とか出てきて「んなもんいちいち説明しなくてもわざわざこんなところに辿り着く奴はわかってるだろ…」と思うわけです。

 

wikipediaはおろかニコニコ大百科にも載ってないんですね。
pixiv百科事典にはあったけど、ほしい情報はありませんでした。

 

(google先生と格闘すること1時間)

 

結論を述べます。

ロリビッチは亜流である。

ただしロリビッチにおけるロリの要件は、ここまで説明した純粋無垢の概念とは違う、形式上のロリであると僕は判断します。
なんか色んなスレとかでロリビッチの魅力について語られていたけど、根底に至る概念が見られなかったような…。

そこで僕は以下の可能性を検討します。

禁忌を「あえて」侵犯した果てに得られる究極の幻想ではなく、禁忌の侵犯を容易にする道具としてのロリビッチなのではないか。

超即物的であり、最高の客体化というわけです。
年端の行かぬ少女に求める要素を完全に外見だけにし、禁忌のハードルを著しく下げることで、自身の満足の便利な道具としてのロリビッチではないか。

「理想」というと言葉が広くて差別化できないのですが、道具なのです。
自分の精神世界の高みへ至る理想でなく、便利な道具。

そう思わせた一文がこちら

 >ワシはロリ一途ビッチが欲しいんじゃ…
それは純愛イチャラブ淫乱ロリとは違うので…?

多分これが全てを表しているんだと思います。
すでに恋愛とか好かれたいとかそういう対象ですらない。それがロリビッチ。

道具道具と否定的な表現が多いですが、ほぼ二次元でしか達成し得ない概念であるという意味で「二次元少女コレクション」の名に恥じないジャンルなのではないか。

そういうことにしてロリビッチの議論を締めたいと思います。

 

4,その他

・合法ロリ

合法ロリというのは「見た目は子供、年齢は大人」というジャンル。
どう考えたってソフ倫とかの目を逃れるために生まれt…これ以上はやめよう。

年齢が大人であることに合理的な説明はそれしかない。
なぜなら二次元である場合に年齢は文字上の設定でしかないわけで、やっぱり消費されているのはその外見なわけです。
ちなみに合法ロリと通常のロリの違いとしてキャラクターに少女性が少ない。知識や振る舞いが大人であるという点において子供らしさは外見のみである例が多く、個人的には即物的であると思わざるを得ないです。

合法ロリとして有名な「とあるシリーズ」の小萌先生が酒を飲んだり車を運転するわけですが、

いや、あれはあれでいいな。

ロリババァとの区別は難しいですが、非難がロリババァだと考えればおおよそ何とかなると思います。
ちなみに最強のロリババァは某サイコホラー映画のあの子。超怖かった。。。明らかなネタバレなので作品名は伏せます。

 

・ショタ

要は「年端の行かぬ男の子」

ソクラテスとかは少年を愛していたらしいし、究極の幻想という意味では男女ともに愛されうるジャンル。
ただ男がショタのみを好きな場合、何故男らしさを否定するのかという議論になるはず。子供という意味ならロリの方が合理的な説明がつきますし、男がいいならショタに限る必要はない。
やっぱりそこで中性的(男性的に比べれば女性寄り)という意味で少なからず性の対象になっているという指摘は免れられず、ソクラテスのように究極の愛でなく(当時は肉体的愛は低俗とされていた)、やはり禁忌による理想なのではないかと僕は思います。

 

・ペド

心理学や精神医学でいうペドフィリア。

こちらはロリコンと違ってちゃんと定義化されており、「13歳以下」という設定がある。つまり小学生以下。
中高生という思春期に対する性的嗜好になるとエフェボフィリアというらしい。精神医学すごく便利

ニュアンスとしては、犯罪チックだとペドフィリア・エフェボフィリア。害意なく愛でてる要素も含めるとロリコン。みたいな感じなのかな?

 

・金髪ロリ

崇高な概念。

欧米的な女性を「美の象徴」とするなら、金髪ロリは「美の根源」なわけです。
成長過程だのめんどくさいことはなしで、単に美術的な好みとしてです。

 

・児ポ法

定期的に炎上する話題。非実在青少年とかも似たようなもの。

面倒と言えば面倒な話ですが、子供を守りたい人の気持はわかるし、やっぱり凶悪な事件が起きている以上簡単に切り捨てるべきではないと思う。
賛成派と反対派の双方が歩み寄って理解し合い、理想的な解決をするべきだと思います(小並感)

 

別に性倒錯しても犯罪さえ起こさなければいいわけじゃないですかと僕は思うわけです。
想像することは自由です。 その倒錯した世界観を形にすれば芸術になりえるんですよ。ナボコフやマルキ・ド・サドみたいに。むしろ倒錯していれば倒錯してるほど高尚な幻想世界になるわけです。

※当ブログは犯罪は一切推奨していません。

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