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グローバルもいいけど、ちゃんと探せば日本もまだまだ面白いと思うよ

構造の魔術?そんなことよりジブリール可愛すぎるだろ。【マージナル・オペレーション】

   


ブログ書くことないは甘え。
だから僕はこう言おうと思う。

「忙しい」

 

とは言ってもわざわざブログに書くようなことなんて日常でそんなにあるはずもなく、
最近読んだ本の話でも書こうかと。

一年以上死んでいた「書評」カテゴリーがここに来てまさかの活躍! 

 

最近読んだ中で一番グッと来たのはマージナル・オペレーション。

え?今更?感は一旦捨ておいてもらいたい。
そもそも僕だって何故1巻をamazonで注文したのかよくわかっていないのだ。
逆に言えば1巻読んだ時点で次回読みたいと思えたからよかったのだが。

※出来る限りネタバレは控えますが、ネタバレ嫌な人は続きを読まないほうがいいと思います。
そしてネタバレOKって人もとりあえずマージナル・オペレーション読んでほしいです。ネタバレ前に。
大丈夫、読む価値あるから。


話としては、近未来の世界。
戦争稼業がはかどっているらしい。世界観的にはヨルムンガンドとして読んでも差し支えないかも。

30歳ニートの新田が傭兵会社に務める

戦術オペレーターとしての才能を開花させる

反米民族的なものにとらわれる

なぜかその民族を指導する

なぜか子供だけの部隊を指揮する

なぜか女にモテまくる

オペレーションが成功に次ぐ成功

アラタTUEEEEEEEEEE

【結論】ジブリール可愛い

そんな話。

感想として3つの項目に分けたいと思います。

 

1,成立時期

マージナル・オペレーションは2011年に開始し、2013年に連載終了した作品。
時期的に言えば厳密ではないけど、ラノベが転落し、なろう小説が台頭する中間

30歳ニート(要は取り柄なし)が突然女の子にモテる、この展開はラノベでさんざん使われた手法。
ラノベに限らず多くの人は大した取り柄を持っていない。そんな主人公が女の子にモテる。
イケメンで文武両道で性格も完璧、そんなやつは勝手にモテる。そしてそんなやつはラノベの幻想なんて必要としない。読んでる側だって「そりゃモテわすわな」と他人事になってしまう。
かと言って主人公がブサメンキモヲタだったら悲しい。自分の幻想を体現する人物がブサメンキモヲタだとやっぱり悲しい。自分がブサメンキモヲタでも悲しい。なんでこんな悲しい気持ちで主人公に自分の幻想を願わなければならないのかと。シチュエーションは理想的、でもこんな主人公に自己投影するのは…という余計なジレンマを与える必要はない。

つまり主人公が没個性的で取り柄のない人物であること、これが最も現実と理想のバランスが良い。
小説が「感情移入」というものを大切にするならば、多少強引なモテでも主人公は読者に近い性質がよい。 かつ近すぎて現実を押し付けてもいけない。

結論としては、ラノベの主人公に取り柄がないのは幻想の具現化、自身の感情を移入する器として「最も障害がない」からだと僕は思う。

そしてマージナル・オペレーションはそんな形を取っている。ジブリールやらイトウさんやらにモテる。

次に突然傭兵会社に勤めて才能開花、という部分はなろう小説的ですね。
なろう小説といえば異世界転生が定石ですが、今の僕達から見れば傭兵のオペレーターとして中東で子供を指揮して戦うというのは十分異世界転生みたいなもの。ちょっと違うけど、「人生を全く違う環境からやり直す」的なニュアンスとしては近い。

僕はなろう小説に詳しくないが、なろう小説における異世界転生には2つの意味があると思っている。

①異世界という未発達な文明に対する現代の優位性、転生という人生経験の優位性
②人生のやり直し

①は現代の知識や転生という経験の優位性を用いることで割とお手軽に「俺TUEEEEEEE」が実現できる。
思うに英雄を描くのは難しい。平均的な人間たちの中で抜群の能力を持つ人物、というのは描くのが、そしてその功績の凄さというのは伝わりづらい。カルタゴのハンニバルが、カンネーの戦いがいかにすごいかというのは単純にwikipediaを読んだだけではわからない。かと言ってそれのすごさを時代背景や戦術の仕組みから説明すると冗長になる。
それを解決するための仕組みとして英雄という上位の存在ではなく、周りを低くすることで相対的に上位の存在を作り出すという手法。だからなろう小説の舞台には何かしら現代よりも劣った文明になっていることが多いのではないかと僕は思う。 この時代では割と珍しくない技術や知識で未開の世界の人を啓蒙したり、上手く立ちまわるのってお手軽な優越感あるじゃん?
あと、これは僕だけなのかもしれないが、努力して成功するより努力せずに同じ成功を収めるほうがより俺TUEEEE感出ると思う。

②に関してはそのまま。
ラノベに対する幻想が女の子にモテる、に寄っていたが実際問題幻想なんて様々。むしろ今の生活に何か不満があって人生レベルでやり直したいという幻想をキャッチ。誰だって一度は人生やり直したいって考えたことはあると思う。
今の自分が異世界に飛ばされるのと、異世界に別の人間(生物)として転生するのでは結構違うと思う。多分その他にも色々な幻想を叶える仕組みとして機能しているとは思うけど、転生願望が最も大きな要素なんじゃないかと勝手に思ってる。

マージナル・オペレーションはラノベとなろう小説の中間っぽさがあるなぁと。
これはリアルタイムで読んでいたら気づかなかったわけで、そういう意味では今更感が功を奏すというかなんというか。

 

2,構造

この項はすごく長いので先に結論を書こう。

マージナル・オペレーションは構造は魔術的。

理由は以下である。

まずそもそも「構造」という表現が正しいかわからないが、適切な表現が出てこないので構造という言葉を使わせてもらう。

僕は物語を書かないのであまりわからないけど、物語の構成として

プロット(ストーリーの大まかな筋)

展開(プロットをどう辿るか)

文章(展開をどう表現するか)

という形になっていると考える。というかそうであるとここでは定めたい。実際の話は一旦やめよう。
そして別軸に設定がある。

例えばプロットの一部に「AがBを殺す」というものがあるとする。
展開はこれをどう見せるかが問題になる。第三者視点なのか、A視点なのか(その場合Aはどんな事情でBを殺すのか)、あるいはB視点なのか、もしくはAの恋人視点なのか、探偵視点なのか。目撃者はどんな状況なのか、ふと通りすがりに見てしまったのか、Aを追っていたのか、などなど。
同じプロットでも視点や状況によって表現は大きく変わりうる。優れたプロットでも展開次第では冗長だったり盛り上がりに欠けたりする。
次にその展開を表現する文章がある。「AはBを殺した」「BはAに殺された」「Aは持っているナイフでBの背後から一突き」などなど。小手先の技術といえばそれまでだが、端的に表現すれば読みやすく、でも端的な文章が続くと単調になる。無駄に語彙を披露すればなんか引っかかるし、平易な言葉ばかりだとニュアンスが伝わりづらい。表面的とはいえ作品の魅力に影響を与える非常に重要な要素。

そして別軸にある設定。
これはAが怒りやすい人物なのか、Bとはどういう関係なのか、といったようなもの。直接ストーリーを進行させるものではないがストーリーに肉付けをする絶対に外せない要素。

というのが僕の私見(ここ重要)である。

では「構造」とは一体何なのか。
もしかしたら「意図」と表現するべきなのかもしれないし、「ギミック」という表現の方が適切なのかもしれない。とりあえずこの概念について説明したい。
上記の話で言えば、まずストーリーの大筋であるプロットが存在する。これは公開してしまえば誰にでも同じ情報を与える。
そして展開。ここでこの概念が関わってくる。
先ほどA視点、B視点だのなんだの言ったが、「そもそも何故その展開を取るのか」という問題になる。
さらに文章においても関わってくる。Bが殺されたことは喜ばしいことなのか悲しいことなのか、ミステリーだったら単なる一個の事象として扱うかもしれない。「何故その展開を取るのか」という理由によって表現は大きく変わるだろう。

物語をこの世界とは一切無関係なものとして見ようとしても、その物語にはプロット・展開・文章(そして設定)というものを創造した神のような存在、つまり作者という現実の存在がいる。
作者を「物語を書いた人」として注目するならこの概念は「意図」という表現が近いかもしれない。
物語を「一定の仕組みで進行するもの」として注目するなら、作者の人間性など関係なく、それは物語全体を動かす「構造」という表現が近そうな気がする。
「進行と意図を持った作品」として注目するなら「演出」だし、「それによる読者への効果」と考えるなら「ギミック」かもしれない。
とりあえず僕はいちいちプロット・展開・文章・設定という仕組みを使ったわけだから「構造」という言葉を使いたい。

この「構造」がしっかり機能する場合というのはそんな多くないのではないかと思う。
ちょっと前の話で、ラノベの主人公が取り柄のない普通の人物、というのは構造上の理由になる。
そしてこの構造は多くのイチャラブラノベにおいては「やたらモテるという幻想を描いて読者が一応満足する」みたいなものが一貫して存在しているのではないか。
ジャンプの漫画の構造は「努力・友情・勝利」である。
ミステリーにおいてはこの概念が大いに活躍する。叙述トリックなんていうのはその最たる例だと思う。

 

突然持論を展開しまくって気持ち悪い限りだが、マージナル・オペレーションの話に戻そう。

主人公の新田(アラタ)は感情が乏しい。
なんか周囲の出来事も観察的で説明的だし、発想も冷めてる。時々動揺したりするが基本的には無感動な印象を受ける。しかしラノベやなろう小説の主人公というのは往々にしてこういうやつらばかりなのだ。
理由としてはまた持論になってしまうが、こうしたほうが自己投影しやすいからだ。
作中世界に対して冷めているということは視点が読者に近くなる。それは当然の話で、いきなり意味不明な世界観や設定を与えられて没入できる方が珍しいのだ。仮にそれらの世界観とかを説明したところで、 むしろ説明が必要なものであればこそ、やっぱり他人事であり自分ではない。ONE PIECEがこれほどヒットしたって大航海時代をルフィ視点で没入できる人などいるわけがないのだ。あるとしたらルフィの人格の一部が自分と同じでだから同感っていう程度。
だから無感動で他の人物よりも少し上からの目線で観察的で説明的、そんな人物こそが読者に一番近く、感情移入の観点からするとわかりやすい。そもそも熱い人間だったり冷めた人間というのはすでにその時点で同感できる人間を限定する。それなら主人公が第三者的である方が結果的に多くの人をカバーできる。

とりあえずそんなわけでアラタの無感動な視点は、フィクションを読む人にとってはわかりやすい。「俺、傭兵のオペレーターとして頑張る!圧倒的成長!!」とか言われると他人事になってしまう。
かと言って自分をアラタに投影して読むわけではない。「俺だったらこうする」「俺もそう思う」とかそういうのではない。作中世界を見るアラタの目が自分の「目」として機能するような感じ。主人公の設定による感情が押し付けられないから、目として機能するという感じ?上手く表現できないけど。

そして表現が結構淡々としている。敵が死んだ時の表現もサラッとしている。「あれ?それって結構グロいよね?」と思ってしまう程度にはサラッとしている。いや、お前最初に人殺した時もっと動揺してたじゃんってツッコミを入れたくなる程度には淡白。

これらは構造が表現(文章)に与えるもの。
そして以下が展開に与えるものである。

子供(少年・少女の兵)を指揮するアラタはそれらの子供たちを大事にする、という設定がある。この設定はくどいほどに説明される。
つまりアラタの戦術は基本的に被害が出ないような戦術を取る。実際途中までは被害0という奇跡的な展開になっている。途中から子供以外も仲間になるが、とりあえず仲間に被害がない状況が続く。それはアラタ自身の信念のようなものであり、その信念自体僕達から見ても十分理解可能(つまり「目」としての機能を阻害しない程度には違和感のない信念)。さらにそれを成し遂げることがアラタの能力の高さを際立たせる。

しかし、どの部分とは言わないがアラタが最初に仲間を失うシーンがある。さすがに最後まで被害0は現実味に欠けるから当然である。

このシーン!このシーンが魔術的なのだ!

別にアラタが激昂したわけではない。そんな展開はジャンプ漫画でも頻出であり大して珍しくもない。
仲間の被害が(今までの表現と比較して)強烈なのだ。今までの淡白な表現から一変して突如強烈な状況説明が入る。テイストは今まで通りの淡白な雰囲気で、でも内容が強烈。

僕は膝をついて◯◯(ネタバレのため名前伏せます)を抱き上げようとしたが、ジブリールが僕を止めた。離れ、銃口で◯◯の死体をひっくり返す。対人地雷が爆発する。◯◯の死体は見るも無残だ。トイレで流せそうなサイズにまで寸断された。

 

済まないと思いつつ、◯◯が入った袋をなでた。袋の中で何かがごろごろと転がる感じがした。

 

上記は本文からの引用なのだが、淡白な表現で強烈な内容を描いている
別に内容は残酷過ぎるというものでもない。もっと残虐な展開を持つ作品はある。しかしここまでアラタが仲間を大切にしてきた過程、敵の死に対するサラッとした状況説明、 そういったものが続いてきてからのこの展開と文章なのだ。

特に強い感情を発露せず、状況だけが、しかも今まで死に関しては簡単に描いてきただけなのに、強烈な仲間の死の状況だけが、今までと変わらず淡白かつ具体的に描写される。

どういうことかというと、アラタの無感動で説明的な視点は僕達を没入、あるいは僕達の「目」として働いてきた。極端な思想や感情は少なく、仲間(特に子供)への信念は僕達の「目」としての仕事を阻害しない。その信念は誰もが理解できるものだろう。そして、多分無意識に、僕たちはアラタに没入あるいはアラタを「目」として使う。
そしてその「目」は作中世界を無感動に冷静に説明する。それが続く。この世界は淡白なのだと思うほどにそれが続く。
そこに現れるのが仲間の被害であり、強烈な表現なのだ。ここで一気に引き込まれる。

もう一度説明すると、アラタは僕達の代わりに作中世界を見る「目」として優秀な設定を持つ。余計な感情はなく発想も合理的。特別な思想や夢もない。敵とは言え死すらもどこか他人事。
アラタの「目」を通して僕達はマージナル・オペレーションを読む。かかる数少ないバイアスにアラタの仲間意識がある。言っていることがわかりにくければ他の作品で考えてほしい。ONE PIECEをルフィ視点で読むかと言われたら普通は読まない。ONE PIECEのキャラクターの持つ設定や信念は現実からすると突飛なものだからだ。「海賊王になる」という信念は僕達から見ると別世界の出来事すぎて理解しづらく、「目」としての機能はない(漫画だからそもそも作中キャラの「目」を使わなくても絵で表現されるけど)
大げさに言えば、アラタを「目」として使っているうちに無意識にアラタに同化してしまう。執拗な仲間意識表現によりそれを叩きこまれ、気付けば自分自身がアラタになる。もちろん大げさな表現だが。

そこに強烈な表現で仲間の被害を描かれるとどうなるか、ということなのだ。

わからん?
うん、僕も上手に説明できなくて困ってたところなんだ
とりあえずマージナル・オペレーションを全部読んでみてほしい。できればこの記事の事は忘れて清潔な思考で読んでほしい。 

もし作者の芝村裕吏先生がこれを意図的にやっていたとしたら魔術的と言わざるを得ない
最初の仲間の被害というターニングポイントがこれほどまでに劇的になるものかと。
そしてこの劇的さ、強烈さはプロットによるものではない。プロット上は単なる仲間の被害だ。
展開によるものでもない。展開は(読めばわかるが)特別すごいものではない。
文章によるものでもない。前述のとおり、もっと強烈な表現はある。

今までの流れ、アラタの視点、読者の感情移入がどういった経緯で行われるか、そういった複数の要素を有機的に組み合わせることで読者を引き込む。
この有機的な組み合わせや演出を「構造」であると言いたく、そしてマージナル・オペレーションのこの「構造」は魔術的であると言いたい。

とりあえず僕なんかが何万語使って説明しようが伝わらないと思うので、是非読んでみてほしい。読んで損はない。

 

3,ジブリール

 

【ジブリールとは】
アラタの古参兵で、中東あたりの部落の思春期の女の子である。絶対可愛い(主観)

父親であろうとするアラタと、アラタに恋心を抱くジブリールのすれ違いは読んでて面白い。途中から天丼っぽく感じたりもしたけどそれはそれでラノベっぽい。ラノベ主人公の鈍感さを「父親」という役割で演出している。
(なおアラタはジブリールに対しては父親だから鈍感だが、他の女キャラクターに対しても普通に鈍感である。)
イスラム系という設定だからジブリールは結構奥手。勇気を出して行動に出てもアラタの鈍感の前に流されて悲しんだり嫉妬したりとそんな感じ。

それって結局はラノベ・ラブコメあるあるじゃないの?と思うかもしれないが、断言しよう。それは全く違う。断じて違う。

まず大きな理由として、アラタから見てジブリールは娘のような存在なのだ。
もちろん娘のような存在だったり、姉や妹のような存在だったり、あるいは母のような存在からアタックされるラブコメ・ラノベも多い。これらとは何が違うのか。
それは前述した、アラタの「目」としての機能である。
僕たちはアラタを「目」として読んでいるうちにいつの間にかアラタに同化する。無思想無感動かつ合理性によりそれを阻害するものは極端に少ない。
ジブリールを娘として見るアラタの「目」は僕達の目なのだ。

例えば他のラブコメで主人公が鈍感ゆえにヒロインを振り回す展開があるとする。
その時のヒロインは、自分と同格の立場のキャラクターなのだ。そもそも恋愛というのは互いが同格でなければならない。
しかし僕達がアラタを通してマージナル・オペレーションを読む際、アラタの思考になる。ジブリールはアラタにとって娘なのだ。 ジブリールの嫉妬を「思春期」とかそういう父親視点で説明する。
一方で物語から完全に分離した読者としてジブリールが恋愛対象としてアラタに恋心を抱いていることもわかる。

実際ラノベやラブコメとちょっとした違いでしかない。
しかしそのちょっとした違いが二つの感情を生む。

ラブコメ・ラノベのヒロインとしての、「恋愛対象」としての可愛いジブリール。
もう一つが、「思春期の娘」としての可愛いジブリール。

 おわかりだろうか?

ジブリールは可愛い(断言)

 

そして、マージナル・オペレーションを読むことにより僕達の中には2人の可愛いジブリールが生まれる
「一度で二度美味しい」とはマージナル・オペレーションのために用意された言葉なのだと実感する。
読者としてアラタの鈍感さに歯がゆさを覚えるもよし、アラタとして可愛い娘として見るもよし、いいとこ取りではないか。

しかもだ、ジブリールは褐色である。
僕はキャラクターの肌の色にはこだわらない主義だが、褐色のヒロイン!この希少性!ジブリール優勝!

 

褐色の暖かさは心の暖かさ(名言)

 

もうシルバーウィークが終わってしまっていまさらだが、是非時間を見つけてマージナル・オペレーションを読んでほしい。
作者の芝村裕吏先生はガンパレード・マーチも書いているので実力は折り紙つき。
つい最近番外編(?)も出たので今から読んでも大丈夫。 是非読もう。

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