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CLANNADは人生【風子ルート】

   


僕が初めてCLANNADをプレイしてから10年が経った。

気付けば10年だ。
何も成長していない。
そして同時にCLANNADは僕の原風景である。

そういえばあの時は渚よりも年下だった。
「俺ももうかつお君より年上なのかー」とかいうトークテーマは日本人にとって鉄板ではあるが、ことCLANNADに関しては違う。

CLANNADのキャラクターの年齢をまたぐこと。それはタイトルの意味である「家族」を考える年齢を迎えるということである。
かつお君の年齢(11歳だっけ?)をまたぐことは通過儀礼のようなものであり本質的に意味はない。
しかしCLANNADの朋也や渚の年齢をまたぐこと、それは人生を考える年齢に達するということだ。
中卒で働くことを否定するわけではない。しかし高校を卒業すること、多くは18歳だと思うが、それは結婚や民法上の能力者として大きな意味を持つ。 女性は16歳で結婚できるとか、渚は19歳での卒業じゃんとか、そういう話はしていない。

つまり、僕は明確な事実としてこう明言したい。

CLANNADは義務教育。

 

そんなわけで10年ぶりにCLANNADやるぞーwwwwwwwwwwwww

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当時はwindowsXPでプレイしたものだが、10年の月日を感じるためにPS3版を購入。
そしてスクリーンショットが取れないことに絶望。


最初にどのルートをクリアするか。これはギャルゲー・ビジュアルノベルを行う上で非常に大切な選択になってくる。印象論のレベルであるものの、作品の感想に大きな影響を与えることは間違いない。

メインディッシュを先に取るか、後に残すか。
人生を描く感動巨編CLANNADだからこそ、この選択は重要極まりない。

しかし僕の選択は決まっていた。

初手風子ルート安定。

理由は簡単だ。
風子ルートは10年前CLANNADで僕が最初にクリアしたルートであり、同時に人生で初めて攻略したヒロインであるからである。

少し自分語りをさせてほしい。
生まれて初めてのギャルゲー・ビジュアルノベルとしてCLANNADを選択した僕は非常に幸福だ。あの歳にして「人生」を考える機会を得られたのだ。
すでにCLANNADを選んだ事自体が運命であった。そして僕は「ググる」ということをせず、自分の直感と運命を信じてCLANNADをプレイした。
セーブポイントとか選択肢によるルート解放など何も知らない僕がたどり着いたのは風子NORMALエンドである。
(正直ここで智代ルートとか引いてたら僕の人生も大きく変わっていたかもしれない)

これが全ての始まりにして、風子ルートこそが僕の原風景なのだ。
ニーソックスに難色を示す素足派の僕が黒タイツにのみ理解を示すことからも間違いがないだろう。
故に初手風子ルート。ここは譲れない。

 

 

※以下、ネタバレあります。

 

 

 

 

伊吹風子

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この可愛い少女は伊吹風子という。
何故原作絵じゃないのかと言えば「伊吹風子」でぱっと検索したら出てきたからだ。絵の些細な違いなどどうでもいいだろう。
彼女によって僕の人生の少なくとも後半10年は作られている。正確には、この10年は風子と共に歩んできたのだ。

主人公朋也の2つ下の学年、1年生だが実際は3年生。
何故2年ずれるかというと、やっぱりそこは実際にゲームをやって確かめてほしい。
アニメでも別に良いのだが、風子ルートのシナリオ自体の良さはゲームの方が活きると思う。麻枝准は結構冗長な言い回しとかが多くて「アニメの方がわかりやすくまとめられている」とか言われることがある。
しかし風子ルートは冗長な言い回しや展開が切なさを演出する。こればかりはアニメでは表現できない。
最後の方の風子が忘れられていく時の、「重大なことが起きているのに淡々と進んでしまっている感じ」などは文章の方が良い。
しかも朋也視点の切ない描写から、それでも健気に自分のやれることを精一杯に行う風子が描かれる。この「視点」が切ないのだ。アニメだと視点を置きにくい(というより文章だと強調できる)ため、ここの効果は明らかにゲームの方が良い。
あと、風子は背中の立ち絵がある。風子の背中立ち絵は事情がわかってくる物語終盤だと、絵が少ないビジュアルノベルならではの切なさがある。
あぁ、こんな健気で小さな女の子が…ってなる。書きながら少し涙腺潤んでる。

逆に風子に関してはアニメの方がいい部分もある。それは風子というキャラクター可愛さだ。魅力だ。
作中でも「元気に走り回っている」といった表現が使われるが、やっぱりビジュアルノベルだとそこを演出しきれない。
他にはカメラワークがある。ビジュアルノベルでは性質上、立ち絵の関係で正面から話している図になる。せいぜい他のキャラと身長の比較ができる程度だ。
だがアニメにはカメラワークが存在するため、風子を見下ろす画になる。

↓こういう感じ

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おわかりだろうか?これはビジュアルノベルでは表現できない。
元気に学校を走り回る、小動物のような女の子。この部分に関してはアニメの方が良い。
っていうか多分風子は京アニに愛されてた。ことみとか使いにくいのわかるけど扱いがなーって思ったもの(7年前)

つまり風子はアニメとゲームで違った魅力を得られる至高のキャラクターだということはわかってもらいたい。
アニメだけ見て「風子可愛い」とか言うのはわかるが、君は風子の良さの5割しかわかっていないのだ。
というよりゲームの方をやるからこそアニメでの動きに感動できる。「あぁ、風子、そんなに走り回ると危ないぞ…」という父親みたいな感傷に浸れる。まさにCLANNAD(家族)

 

10年経ってプレイしてみての感想

まず風子ルートが他のメインヒロインと大きく違うのは、渚の存在を並列して進められるところ。
CLANNADは渚の存在が大きい。幻想世界もそうだし、古河家もそう。
その存在は渚ルートをクリアするまでもなく、物語序盤から強烈に印象付けられる。そのため杏とか智代というイチャイチャルートに入ると渚を切ることになる。それがね、結構ガチで胸が苦しくなるんだ。確か渚が再び一人になる描写があったような気がするんだけどそこがマジで苦しい。
なんか智代を選んだ自分に罪悪感を抱くし、申し訳ない気分でクリアした智代ルートは印象に残ってないんだ…。
(杏ルートは闇が深くて印象に残った)

ことみルートでも渚が大きく関わる。
が、あれではダメなんだ。なんていうか渚が寂しい。そりゃ渚はいい子なんだけど、いい子すぎてこっちが辛くなってくる。いや、お前朋也のこと好きじゃん…なんで付いてきちゃうんだよ…みたいな。

比べて風子ルートは渚が自然に関わってて、しかも苦しくない。
僕は完全に父親目線で風子を見てるからそうなのだが、僕の中では渚ルートは風子ルート中も進行しているのだ。
つまり演劇はなくなっちゃったけど、風子ルートの今後として渚と朋也の関係は続きうる。もうこの際、渚と朋也の子供が風子であってもいいくらいだ。いや、僕の子供でもいい。それくらいの自然な立ち回りなのだ。
そこなのだ。多分最初に智代ルートとか選んでたらあまりの苦しさに僕は寝込んだかもしれない。寝込んで学校を休んでCLANNADをやっていただろう。

渚ルート、ひいては汐の存在を知る前から渚ルートの終わりに苦しさを感じていたのだ。一度CLANNADをクリアしてしまっては尚更。次は杏ルートをやろうと思ってるから、僕の消息が絶たれたら胸が一杯になって廃人化してしまったと思って欲しい。
そういうわけで風子ルートは精神的にも負担の少ない内容となっている。

 

風子ルートの中身としては、切なさが文章によってより切実に伝わってくる。
そもそも存在が奇跡のようなキャラクターだからだが、終盤のどうしようもない無力感などは筆舌に尽くしがたい。
最初はちょっとうざったい風子の自由奔放な言動も、終盤には「健気さ」としてフラッシュバックされる。終盤になると本人も若干諦め感があるのか、少し言動が大人しくなる。目に見えて大人しくなる。それがギャップとして鮮明で、故にフラッシュバックされるのだ。あれ?風子ってこんなキャラクターだっけ?みたいな。
そしてモニターの向こうの出来事に対して何もできない自分を歯がゆく感じる。こうして僕は思うのだ。

あぁ、この子は僕が守らなければいけないんだなぁ。

親衛隊とかそんなやわなものじゃない。父性的というか、かけがえのない存在として、そう思うのだ。
そう、これこそまさにCLANNAD(家族)
本編(渚、汐)では朋也が家族を実感するのだが、風子は僕が家族になる。言うなれば「俺がパパになるんだよぉ!」といったところ。

 

そしてもう一つ、朋也との関係性である。
ギャルゲーというのは不自然なほどイチャイチャチュッチュする。それはもうこちらが微笑ましくなるほどに。しかしその進展は結構無理やりなものがあったり、「なんか色々一緒にいたからこの進展はわかるよな?」と言わんばかりのイベントを押し付けられて強制的に納得させられる。

しかし風子の場合は違う。中盤までは関係性が進展しているのかと思うほどに風子と朋也のやりとりは変わらない。もちろんそれは信頼の証でもあるのかもしれない。
でね、でね、ここからが大事。
前述したように、終盤の段階では風子の言動は大人しくなる。創立者祭あたりでは「守らねば」と思うほどに大人しくなる。それが切ないわけ。
大事なのは結婚式前々日。夜の学校。

ここで一回風子が元気になるんですよ。

思わず僕の論調が変わるほどに大事。
三角帽を買ってもらってはしゃぐ風子を見て、僕は安堵というか懐かしさを感じるんですよ。これがずるい。麻枝准はユーザーの心を弄んでいるわけだ。
普通は起承転結、風子がだんだん元気がなくなっていくけど最後にハッピーな結末で元気になる。これが多くの人に刷り込まれた一般的展開じゃないですか。

でも風子ルートでは何の問題も解決していないのに、あの元気で健気な風子が戻ってくるんですよ! 
もうね、僕は苦しいよ。本当にこの子は純粋で健気なんだなぁって。
多くの人に忘れられて、秋生や早苗からも見えなくなって、結婚式こそ挙げられるけれども風子の努力の直接的効果はほぼ完全に失われつつある状態で、それでも無邪気に三角帽ではしゃぐ風子を見て何も感じずにいられるわけがないんです!ないんですよ!!!
守りたい、この笑顔。

(こういう文章の時はです・ます調の方が書きやすいことに気づいたので論調変えます)

ここで風子と朋也が約束するわけです。

 

※本編より会話を抜粋(TRUEエンド時)

風子「風子のこと、好きになってください」

朋也「それで好きになったら…次はどうするんだ」

風子「風子が岡崎さんのこと、好きになります」

朋也「今は好きじゃないのか?」

風子「片思いは嫌ですから」

朋也「あ、そ」

風子「岡崎さんが、風子のこと好きだって感じられたら、風子も岡崎さんのこと好きになります」

朋也「ああ。それで?」

風子「そうしたら…告白します」

朋也「おまえが?」

風子「はい」

風子「だから、その時はふらないでください」

朋也「ああ…わかったよ」

 

 

いや、よくあるシチュエーションじゃないですか?別にあまり珍しいものじゃないよね?

うんうん、なるほどね…

はい!そんなあなたはCLANNADエアプ確定!!CLANNAD24時間耐久攻略の刑な!!!

 

いいですか?「だから、その時はふらないでください。」ってあるじゃないですか?

「その時」っていつですか?「その時」って来るんですか?朋也はこの後、風子を好きになるどころか「風子を忘れる」運命が待っているんですよ?

 

これがガチで切ない。結果を知っているからではなく、そうなることは初見でも展開上わかるはず。
つまりね「岡崎さん、好き」「あぁ、俺もだ風子」じゃダメなんですよ。それじゃあ他のギャルゲーと同じ。
「いつか告白します」って、その「いつか」が来る頃、早ければ翌日には、おそらく朋也は風子を忘れている。そしてその事実は風子が最もわかっている。その上で「その時はふらないでください」 って言ってるのやばくないすか???だってもうこの約束の時点で朋也以外の人間は風子のことを忘れてるんですよ???やばくないすか???俺が守らなきゃって思いません???

だから本編では風子と朋也は結ばれないんです。
本当は、きっと、風子と朋也は夜の校舎で結ばれることもできました。でも風子からそれを拒む。

「片思いは嫌ですから」

よくある台詞だけど、この言葉が死ぬほど重い。
この夜の校舎で風子と朋也が仮に結ばれても、近い未来、朋也は風子を忘れる。でも風子は朋也のことを覚えている。その時、風子は片思いの状態になってしまう。そうなってしまう未来がわかっててこの約束をしたんです。

朋也が風子に告白する機会はこの機会しかない(忘れるから)
でも風子は、朋也が風子を忘れる未来が来るのを知っているから、いつか自分から告白すると約束する。
朋也に告白されるときっとそれに応えてしまうから。そして忘れられてしまうから。だから朋也が告白するのでなく、時が来たら風子から告白する。いや無理泣きそう。ここまでの展開上その時は確実に来ないから。

 

案の定と言ってはですが、翌日には朋也は一旦風子のことを忘れますし、翌々日にはほぼ完全に忘れます。

 

個人的にはここで終わったほうが好きだったなぁと思います。

TRUEエンドでは朋也が風子から告白されます。

一応公子の結婚式で「風子のことが好きだった」と伝えます。風子自体のことは忘れているけど、思い出せないが確かにいた人という扱いで。
そしてエンディングではまた風子が現れて、風子に告白されるわけです。

ここがぼんやりするんですよね。

風子が出てくる理由はまだいいんです。
時間が経ってるから退院したでも、今度は自分の想いを叶えるために出てきたでも。

ただアフターストーリーを考慮すると前者はちょっとやめてほしい。確かアフターストーリーの風子は朋也を知らないはず。
それが風子ルートではその設定と矛盾するのはきっつい。多世界解釈までは全然いいんだけど、世界間で設定が変わるのは美しくない。つまり退院時に朋也を知っている設定の世界と、知らない設定の世界があるのはよくない。

そうなると自然と僕の中では後者になるわけです。

さて、この状況を分析すると、
・風子と再会する瞬間までは朋也は風子のことを忘れている。
・しかし物語の設定上、風子を忘れると見えなくなる。
・逆に言えば風子が見える状況になった今、風子のことを思い出した?

ちなみに風子に再会した朋也の対応は出てきません。だから朋也が風子を思い出したかどうかは実はわかりませんが、NORMALエンドでは明らかに風子を思い出していない以上(渚と春原とのやりとり)ここでも思い出していないと考えるのが普通でしょう。

 

さて、告白に関して夜の校舎のくだりがあったように、自分の状態を判断してやりとりしていた風子です。ここでは何故告白したのか考えたいと思います。

確かに朋也は(公子に向かってとは言え)風子のことを「好きだった」と言います。条件は満たされています。
しかし再会時に朋也は風子を覚えていない。これは風子の「両思い」の条件を満たすのかと言われたら、満たしていないと答えるべきでしょう。
忘却していても両思いを形式的にOKと判定するなら、そもそもこの夜の校舎のやり取りは必要なかった。

それとも僕が無駄な深読みしてる?
確かに公子に言うまでは朋也は風子のことを間接的にも「好き」と言っていないわけで、公子への話がただトリガーになっただけ?それはちょっとやだなぁ。
確かに夜の校舎時点では朋也が風子に恋愛感情を抱いているかはわからない(間接的に恋愛感情を匂わす表現も夜の校舎までは確か一切ない)。だから「好きになってください」なのかな?
でもこの解釈だと風子が再会を前提にしていないと不自然。あの状況で時間の猶予を持とうとする理由がない。

そもそも公子に打ち明けた「好き」は恋愛感情なのか文脈上全然わからない。これを以って両思いと風子が判断したっていうのもなぁ…。

 

あるいは別解釈として、風子との関係の断片が残るという解釈はできます。これは設定上確かなもので、朋也・渚・春原が一発でヒトデをわかったことからも説明はつきます。
風子を忘れた春原が風子の存在に関してすごく懐かしい気持ちになったのもそうでしょう。風子ルートの終盤でみんなが集まったのもそうでしょう。つまり朋也は風子を忘れても恋愛感情自体は残る、という解釈です。
ありえなくはないが無理やりすぎる…。

 

だからやっぱり、風子としては気持ちは決まっているけど「その時」は訪れない。というのが一番しっくり来るんだよなぁ。

 

逆にNORMALエンドだと告白云々のくだりはカットされて、エンディングでは「友達になってください」で終わる。
これはすごく自然だしすっきり終われる。
ストーリー内でも風子が友達を作ることを苦手としていたこと、それを公子が気にしていたこと、入学式で友達を作ろうと頑張ったこと回収していて唐突感は一切ない。

だからエンディング単品だとNORMALの方好き。

 

 

まぁとりあえず風子ルートはエンディングで少しもやっとするけど、告白云々を除いてもすごく良い。
汐ルートと1,2を争う良さ。
anaが流れるシーンはオススメ。

胸を締め付けるような無力感と終わりを感じながらの壮大なanaがね、、、もうね、、、

 

エンディングの風子は幽霊か本物か

僕の予想(願望)では幽霊。
そうじゃないと嫌だ。

確か「今度は自分のために頑張る」みたいな話があったはず。
風子の幽霊が出てくるのは「何かのためへの想い」がトリガーとなっているわけで、やっぱりここは幽霊(意識)の風子が友達を作り(or朋也に告白し)に来たと考えたいです。

というより2年以上意識が回復せず、5月にさらなる重態に陥った風子が朋也卒業前に現れるのはさすがに都合が良すぎるかなぁと。
何よりafterを知っていると、申し訳ないが風子には寝ていてもらいたい…! 

 

エンディングのモヤモヤ感を無くしたい。

正直、首を傾げながら影二つを聞きたくはない
だからどうすればいいのかというお話。

先ほどの「その時」は訪れないエンドは綺麗だと思うんです。
風子(朋也視点ではまだ知らないそいつ)の復帰を願って終わりという感じ。
でもそうするとNORMALエンドの方がボリュームがあるという本末転倒になるわけですよ。

かと言ってNORMALとTRUEの違いは告白のくだりくらいしかないし、TRUEで「友達になってください」だと告白のくだりが無駄になります。
最も伏線を拾えるのは「交際を前提に友達になってください」なのだが、これが採用されないのは自明なわけで展開か文章を変えなければなりません。

そもそも論を言わせていただくと、「何故風子ルートは2通りに別れるのか」。
他のキャラではほぼないルート変化。風子ルートのそれも実際大した違いではありません。むしろ「風子の友達」こそストーリーをしっかり踏まえた本筋で、「風子の恋人」というのは突然湧いてきた異端とも言える存在です。
しかも風子はafterストーリーにも出てくる愛されキャラ。ここで恋仲になるという世界線を取ること自体がafterの世界線を潰すわけです。これがafterと独立している智代やことみなら問題ありません。杏も明らかに別世界線であることがルート上わかるのでいいです。
しかし風子ルートのみ最後の一言で世界線が変わる?ちょっとそれは綺麗じゃない。

風子によって渚の演劇の希望は潰えるわけですが、事実の整合性でまとめていくと風子NORMALエンド後にafterに入ることは不可能ではない。 渚が「ふぅちゃんをよろしくお願いします」とか言ってるけどそこは大丈夫。多分大丈夫。ダメ…か…?しかし渚が朋也との関係を諦めたと明示しているとは言いがたいし、NORMALエンドでは朋也の横に渚(と春原)がいる。「友達として」って意味だよな?そうに決まっている。細かい事実は違うけどafterに収束することは可能…!

 

こうして僕は”風子ルートafterストーリー収束おじさん”となり、魂は遠いCLANNADの世界で風子を見守り続けるのであった…。

 

さて、”風子ルートafterストーリー収束おじさん”はNORMALエンドに対しては納得のいく(?)結論を下したものの、TRUEエンドの解釈(という名前のこじつけ)に難航している模様。
「朋也が他の女の子と一度別れて渚とくっつくというのはさすがに僕のCLANNADが汚れる」などとわけのわからないことを供述しており、事態は難局を迎えております。

苦悶の末、おじさんは一つの可能性を見出す。

「光の玉消滅イベントって確かあったよね?あれってなんだっけ?」

突然にわかみたいなことを言い出すおじさん。しょうがない、だって10年前だから。
確か風子ルート後に渚ルートに進むと風子の光の玉が消滅する話だった気がする。光の玉というのは「そのストーリーに出てくるキャラクターの想い」のようなものです。
それが満たされる?と光の玉を入手します。 サブキャラ含めほぼ全てのルートにこの光の玉が存在します。しかし風子の場合はそれが消滅するんです。

これはどういうことかを考えると、「風子の想いが消滅する」あるいは「満たされない世界になる」と解釈すべきですね。

単純に考えれば大したことはありません。渚ルートにいくことで風子の想いが満たされなくなる。そりゃ風子を諦めて渚に進むんだから当然だろ、と思うかもしれません。
そう思ったあなたはギャルゲー初心者。

ギャルゲーというのは基本的に多世界解釈で進みます。ルートによって同時間軸で別のキャラクターを攻略しているんだから当然ですね。ヲタクは無意識のうちに量子力学の考えを学んでいるエリートなのです。

さてこれをCLANNADにおいてどう解釈するかというと、風子の光の玉が渚ルートの進行によって消えるというのは本来ありえないことなのです。
ギャルゲー多世界解釈理論から言えば、風子ルートと渚ルートは別の世界線です。もちろん智代やことみ、他ヒロインも別の世界線です。渚を取れば他が立たない、そういった構造になっています。
渚ルートを進める→風子の想いが満たされない、現象的にはそうです。しかしですよ、それは他のヒロインについても同様のはずです。風子の光の玉が消滅するなら他のヒロインの光の玉も消滅して然るべき。何故風子だけなのか?

つまりそれは風子ルートと渚ルートがそれぞれ独立していない、相互に関わりあって存在しているということ。風子ルートが渚ルートに何の影響を与えているかわかりませんが、渚ルートが風子ルートに影響を与えているのは事実。
渚ルートを立てると風子の光の玉が消滅するというのは、渚ルート上に「本来別世界線であるはずの」風子の想いが存在しているということ。端的に言えば、単純に別世界線だと割り切れない、ということです。
(別世界線であることは間違いないはずです。同時間軸の事実が違うので)

杏やことみ、智代と違って風子ルートの世界だけ特殊な設定で組まれている。しかもそれは渚ルートと風子ルートの世界線が不完全な独立という形で示されている。
場合によっては風子ルート後に渚と結ばれてafterへ向かう、という解釈も可能…。

風子ルートafterストーリー収束おじさん大勝利か!?

光の玉消滅イベントとはなんだったのか?おじさんはその調査へと向かう。
(と言いつつも多分次は杏ルート行きます)

 

そして風子ルートクリア後のメニュー画面
(PS3版なので写真で勘弁してください。)

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あれぇっ????光の玉は???????

 

 - CLANNADは人生