約2年ブログを書いた人の話
このブログ、最近はほぼ幽霊ブログと化しているのだが、2年経ちました。
何とか100万PVがあったということだけ最近のトピックスとして報告させていただきます。
人生の一部をこんなブログに割かせて大変に申し訳ない…!
さて、2年目。
Jに何があったのか振り返ってみましょう。
・ツイキャスにはまる
今はtakusutaとかもありますが、簡単に個人配信がスマホからできるサービスというのはいいですね。
自己顕示欲があるのに機材揃えられない女の子が寄ってたかって自分をアピールするからです。
春先は狂ったようにツイキャスダイバーして一人で配信の点数を付けてました。アレは本当に狂っていたと思う。
今はたまにツイキャスを見る程度。
僕が昔はまっていたpaletの元メンバー、中野佑実ちゃんが最近ツイキャスよくやっていますね。
palet時代とキャラクターが違うのが新鮮ですごくいいですね!
しかしツイキャスというのはプラットフォームで人を囲えてないため、元々数字を持ってない人がやると若干不利な印象(超可愛ければ別ですが)
「キャス主」という言葉はありますが、ツイキャスを見る人に特定の名称がない。これはファンを増やすのによろしくない。
何故か。ファンを増やすときにはターゲット層を明確にすることが大切だからです。
ドルヲタ、アニヲタ、カメコ、ニコ厨。世の中には分類化されたターゲット層が存在しています。
ドルヲタはアイドル、アニヲタはアニメ、カメコはレイヤー、ニコ厨はニコニコ。こういった感じでそいつがどこに生息しているかがよくわかるようになっています。
しかし「ツイキャスを見る人」というのは実はよくわからない。もちろん一定数いるのは確かですが、ターゲット層の確定としては弱い。ツイキャスを見る人はyoutubeも見るだろうし(youtubeの方がコンテンツ力が高い)、takusutaやshowroomも見るでしょう。ツイキャスとtakusutaとshowroomにあまり違いはないので(showroomはまだ独自性があるけど)。
つまりどこかで客を引っ張ってきた人がファン放送としてやるにはツイキャスは手軽でいいのですが、0からファンを集めるには難しいのではと僕は思います。(あまり真剣に考察してないので諸々甘いところは見逃してやってください)
・叩きたければ叩けばいいじゃないコラム
「斜に構えちゃったヲタク」が書く、現代ヲタクの現実コラム。
今思えばなんでこんなの書いちゃったんだろうって記事ばかり。書いてる当時は楽しかったんだけどなぁ。
・オーヲタ
そういえばオーヲタとして必死に頑張ってたなぁ。オーヲタ界ではまだまだひよっこもひよっこだけど。
今もRUBICON 2で音楽聞いてます。実際前までのJEF 4302よりよく鳴らしてくれる。なによりDALI独特の味付けが好き。
でもなんか物足りないんだよなぁ。
何ていうか、音の中に濁りがあるっていうか、一つ一つの音が独立しきっていないっていうか…
何かが足りないんだよなぁ…。
(DENONのPMA-2500NEを見ながら)
耳が良くなるとは言うけど、それは間違いなくて音の聞き取れる幅が増えてきて、それは人として洗練されていることのはずなのに、いわば資格のようなものなのに、何故かお金が出て行く。
これはおかしい(確信)
・音楽、本、映画
2年目は文化人気取りでこういった内容の記事をいくつか書きました。
まぁまぁ面白かったけどツッコミどころがあるものを選んでいます。
文句なしに面白かったものは紹介しません!中途半端な考察して叩かれるのが怖いからです!
あ、でもトゥルーロマンスは人に進められるくらい面白いので是非見て欲しい。
監督のクエンティン・タランティーノは最近ヘイトフル・エイトって映画も公開してるので雰囲気を知るためにも是非!
・コスプレイヤーにはまる
これはまだ記事が書けるほど僕が深くまで学べていないのですが、コスプレイヤーよくないっすか?
人の進化としてまとめておきたいのですが僕自身の経験として以下のように進化するヲタクがいることをここに報告します。
初期段階:
可愛ければいいじゃん
→可愛ければ本当に何でもいいので手軽な二次元に走る
第二段階:
可能性がなくちゃだめじゃん
→可能性の必要があるので少なくとも生身の人間になる(想像での補完は可)
生身の人間+可愛いという究極の理想を追い求めるのですでに現実世界で詰み始めてる。
アイドルや声優などのコンテンツにはまる
第三段階:
チョロくなる
→アニメ育ちなので「女の子が自分に惚れてくる」という幻想が拭い切れない。
でも本当に可愛い子はわざわざ自分に惚れることがないため幻想と現実のギャップがつらくなってくる。
コンカフェや地下アイドルにはまる。
第四段階:
可愛ければいいじゃんへの回帰
→幻想と現実のギャップに苦しんだ挙句悟りを開く。「俺は理想に生きるんだ」と。
しかしこれまでの段階は活かされており、アニメだったら声優の演技やシナリオの構成などディテールに拘る。
生身の人間だったら写真は修正が入ってるからクソ、といったような感じで妙に審美眼が洗練されているため地味に厄介。
第五段階:
もうさ、可愛ければ何でもいいじゃん
→自分は可愛い子が好きなんだ。可愛いことに癒やされるんだ。細かいことを気にして幅を狭めてどうする。修正だろうがクソシナリオだろうが可愛いと思う感性の結果を揺るがすものではない。
写真の修正は本人の可愛さを証明するものではないが、”少なくとも写真が可愛い”。これでいいじゃあないか。
クソシナリオはキャラの可愛さを左右しない。可愛いはシナリオに生きるのでなく僕の感性に生きるからだ。シナリオとキャラの可愛さは別軸で動くものであり、どちらかがどちらかを限定するものではない。
最近見てよかったなぁと思うコスプレイヤーについてはそのうち別記事でまとめたい。
何ヶ月後になるか知らないけど。
・2年目を振り返って
書くことがなくなってきているのは間違いない。
結果メタ的だったり無駄に技巧的っぽくしようとしたりして何がしたいかよくわからないブログになっている。
しょうがないよね、何がしたいのか自分でもよくわからないんだから。
最近のブームは天冥の標。やっと6巻のpart3まで読めた。
長いけど設定やシナリオが読み込ませるし、何より1巻の圧倒的引きが強かった。