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ガチ恋定理

   


別にこれはガチ恋の人を貶そうと思っているわけじゃない。

とある人のガチ恋ポエムを読んでしまった時に僕は「ふふっ」と言ってしまった。
午前1時。部屋で、もちろん一人だ。
その時スピーカーからはPacic! At The Discoのアルバム「Vices & Virtues」から何かの曲が流れてたけど、詳しくは覚えてない。

なんで僕は鼻で笑ったんだろう。
ちなみにそのポエムは一切面白くない。彼が自身の心を引き裂いて書き記した言葉だということはわかるのだが、生々しく心情が吐露されていて読んでいてむしろ辛い。
「好きすぎて苦しい」という西野カナ風の嘆き、「出会えてよかった」というありきたりなJ-POP感、「自分は(君に出会えて)幸せ」という自己完結。あとはそれらの文章の間に要約すると「好き」という意味の文章が埋め込まれてる。
たったそれだけの文章なのだ。 確認のためにもう一度読んだけどやっぱり面白くない。何も笑える要素がない。

でも僕は笑ったのだ。


ガチ恋だっていいじゃないか。

人を好きになってしまうことはほとんど生理的なことだし、
何かに本気になるということは倫理的に許される限りは素晴らしいことだと思う。

しかしガチ恋を鼻で笑う僕達は「本気で恋する」彼らに何かを見るのだ。
本来は美徳であるはずのそれが、アイドルの世界だと醜態となる

これについてちょっとアイドルという文化が何であるかから考えたい。

アイドルとヲタクの関係というのは擬似的な恋愛とは断定できない。
応援だったり女の子と一瞬仲良くしたり、とりあえずそういったサービスを楽しむという趣味だ。
”誰を”推すか、”どのように”応援するか、”何を”話すか、”いくら”使うか、そういった行動の選択権が全てこちらにあり、それを自分の裁量で楽しむ趣味なのだ。擬似的な恋愛というのは選択肢の一つであってアイドル文化の全てではない。
そして「恋は盲目」と言うが、盲目になること、つまりガチで恋しちゃって色々盲目になってしまうのは実質選択する能力を失うことだ。コンテンツや欲に飲まれていて自身をコントロールできていない状態だ。

本来「自身の選択」を楽しむ、一種のシュミレーションゲームのようなアイドル文化において、ゲームに飲まれてしまっている。
だから「(恋に)本気であること」が愚かに映るのだ。

これを「ガチ恋定理」と呼びたい。

 

要は「お遊びごときに真剣になっちゃってる」のは笑えるね、ってことだ。大事なのは「お遊び」という表現である。
自画自賛になるのだが、このガチ恋定理は地味に汎用性がある。

まず、何が「お遊び」なのか。
これは主観に沿ってもらって構わない。
何故なら「何かに本気になっちゃってる人を鼻で笑う」ことの論理であるから、「鼻で笑う」主体の自分の意見でいい。相手にとっては真剣に取り組むべきものでも、自分にとってくだらないお遊びであるならそれでいいのだ。

つまり、ガチ恋定理は「一般人がヲタクを鼻で笑う」現象も説明できる
これに気付いた時、僕は震えた。

こんなにすごい定理を考えられるならもっと仕事とかに頭を使うべきだ、と。

ガチ恋定理さえなければ同等であるはずの人間を「本気になっちゃってる」という一面においてのみ相手を見下し鼻で笑う。そのメカニズムを説明してしまった。
一般人がヲタクを見下して鼻で笑う時がそう、ヲタクがガチ恋を見下して鼻で笑う時もそう。広く解釈すれば、まぁそこそこ説明できるのではないか。
少なくともそうだと思うから僕は件のガチ恋ポエムを読んで笑ってしまったのだ。

決して彼が愚かなわけではない。
僕にとって全然魅力のないものに真剣になってしまっているから笑ってしまったのだ。
つまりガチ恋が笑えるのは、運営の手のひらで踊らされているという愚かさではない(というより多分ガチ恋のヲタクは踊っていることを承知のはずだ)。
そんなことに真剣になってしまっている”滑稽さ”なのだ。ギャグ漫画を読んでいるようなシュールさがそこにあって、それが滑稽なのである。

だからヲタクはガチ恋を馬鹿にするし、僕もガチ恋ポエムを読んでは鼻で笑ってしまう。
このガチ恋定理の中では本来美徳であるはずの「真剣」さが、真剣でであればあるほど滑稽さを増すという仕組みであり、彼自身がその美徳に対して真摯であればあるほど他者は彼を笑う。

しかしその姿こそ、滑稽である彼自身こそが最もヲタクらしいのだ。
常識的に見て無意味であることを真剣に追い続けている姿勢こそが(前述したガチ恋定理的にも)本来のヲタク像であり、その真剣さを評価するコミュニティがヲタクだったのではないかなぁとも思う。
そう考えると岡田斗司夫の「オタクは死んだ 」はなるほどなぁと思う。そして、ガチ恋定理含めヲタクの姿がそうであるならば、ヲタクとしての活動というのは「他者から理解されなくなる」ところに究極地点があって、自分の中の常識を1つずつ捨てていくチキンレースのようなものだと考えたら、少なくともその意志だけは讃えられるべき美徳なのではないだろうか。

 

でもまぁ僕は笑う。
そもそも僕自身が今ヲタクではないし、ガチ恋なんてその辺のヲタクよりたった一歩深いだけだ。言ってしまえば「人を好きになるなんて当たり前」なのだ。それが思想になって哲学になって、誰にも理解されなくなって、それでも自分自身にとっては快楽で、という段階になって「すげぇヲタク」なのだろう。

 

なんにせよ彼の恋がもし成就したら、僕は謝ろうと思う。

 

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