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グローバルもいいけど、ちゃんと探せば日本もまだまだ面白いと思うよ

アイドルは卒業するための通過点でしかないのか

      2015/07/13


グダグダと駄文を書き並べる癖があるので今回は先に結論から書きます。
アイドルは卒業するためにアイドルをしている。

別に「死ぬために生きている」みたいな哲学的なことを言っているのではありません。

卒業と解散が制度化されることで、そこには、「はかなさ」の感覚が生まれる。ある一人のアイドルがそのグループのなかで輝きを放っているのは一時期のことで、それはいつか必ず終わる。そのはかなさの感覚は、日本人の伝統的な美意識にもかなっている。無常感にも通じていくと言えるだろう。

ー島田裕己:アゴラでの記事(http://agora-web.jp/archives/1443126.html)より

アイドルの卒業が制度化、つまり「予定されたもの」となっていることは僕も異論はありません。
それは年齢とかの理由もありますが、原因はもっと根本的なところにあると考えます。


アイドルは通過点?

「将来の夢は女優」と言いながらアイドルをしている人は多いです。
GEMのプロフィール(http://girls-entertainment-mixture.jp/profile/)は露骨にそれを表しています。

GEMと言えば歌もダンスもレベルが高くおまけにみんな若い。
「さすがavex」と言わざるを得ない実力派ユニット。

しかし将来の夢に「GEM」という単語を含んでいるのは、ゆうきりん、なっち、まほちの3人のみ。
しかもゆうきりん以外は個人の将来像がGEMとは無関係なところにあります。
なっちは「幅広い年齢層の人から愛される国民的女優さん」、まほちは「個人としてはモデルとしても活動したいと思っています!」と言っています。

つまり、GEMのほとんどにとってGEMというユニットは通過点でしかないのです。少なくともそう見えます。

大島優子の卒業も女優のためでした。
SUPER☆GiRLSの八坂沙織卒業に関してもも理由は以下のように語っています。

「先日発表させていただいた東宝ミュージカル『サ・ビ・タ』への出演を受けて小さい頃からの夢を叶えることができました。ここまでメンバーやスタッフ、家族、本当にすべての周りの方々に支えられてきました。皆さんに恩返しするために自分の夢に全力で向き合いたいと思いました。これからも私は全力で夢に向かって進んで行きます。応援よろしくお願いいたします」

―ナタリー(http://natalie.mu/music/news/106291)より

こうなるとむしろアイドルを到達点にしている人は少ないのでは、と思わざるを得ませんね。

「夢を実現する場」

去年の紅白歌合戦で大島優子が卒業を発表した時のヲタクの反応にこんなものもありました。

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確かに「今までの自分の気持ちが踏みにじられた」ような気持ちがするのもわからなくはないです。

しかしそのAKBを作った秋元康はAKBの在り方を

「女優、モデル、歌手、声優・・・・・・AKB48というシステムを通過し、そして卒業することで各界に人材を送り出していく回路に発展させたい」

と言っています。

大島優子が女優をするためにAKBを卒業したのは明白。
しかしその卒業の在り方自体、秋元康の構想通りだったわけです。
今こそ日本人の大半が大島優子を知っていますが、AKBがなかったら殆どの人が大島優子を知らないでしょう。
もしかしたら別の方法で知名度を得た可能性はあるでしょうが、何か一芸に秀でていない限りその知名度は「アイドル的な方法」で得られるものでしょう。例えばニコ生とかユーストとか。

女優の道は狭く険しいものだと思います。
ずっと女優としての稽古をしていた大島優子とAKBの大島優子、比較はできませんが後者の方が女優になれる可能性が高いと感じる人も多いのではないでしょうか。
決めつけはよくないですが、ずっと女優としての稽古を積んでいた大島優子なんて多分誰も知らない。才能があればさておき、なければ無名女優なんてわざわざ使う人はいないでしょう。
しかしAKBで絶大な人気を獲得している大島優子なら多少演技がダメでも使いたいと思う人がいるはず。ドラマでやたらジャニーズが使われるのと同じですね。少なくとも人気は数字に繋がりますから。

そういう意味でAKBは女優への道を拓いたわけです。
別の言い方をすれば、AKBは夢を実現する場となったわけです。

そう考えると多くのアイドルがユニットを踏み台、夢を実現する場として使うのもわかる気がします。

ただの踏み台なのか?

ここまで見るとアイドルという立場を踏み台にしていると見ても頷けます。
今の大島優子の例で言えば、話題性と知名度を得るためにアイドルをやっている、とも見えるでしょう。
アイドルは夢を実現する場、人材を送り出す回路。それならばしょうがありません。

しかし夢の通過点としてのアイドルにはもう一つ、非常に勝手な解釈ですが、重要な点があると思います。

それは「自分を応援してくれる人」を手に入れることです。
アイドルほど露骨に「応援してくれる人」が可視化する世界も珍しいのではないでしょうか。

今推してるアイドルがユニットを卒業して女優への道を進んだとします。
大島優子であればアイドルを辞めても数百人の応援は確実に得られるでしょう。
多くのヲタクに支えられるアイドルは、その支えを以って次のステップへ進む勇気を得る。精神的な支えとなれる。
そう考えたら幸せではありませんか?僕だけでしょうか?

小さな応援が集まって、アイドルを通さなければ叶わなかった夢が叶う。
そう考えたら僕はアイドルを通過点とするアイドルを悪いとは思えません。
がむしゃらな努力よりアイドルの方が可能性があるならむしろそれも悪くない。
アイドルだってそんなに楽ではないと思いますが…。

そして自分に関して言えば、自分は夢の通過点で支えているという自信が湧いてきます。
何より卒業後も応援し続けることができます。

アイドルとしての限界、挫折、そういった「一般人に戻るための」卒業なんてもうどうすればいいかわからなくなります。
その後の幸せを願うだけです。もう何もアクションを起こせない。
そういった意味では踏み台アイドルって長く応援できます。
って言うと怒られそうな気もしますが、推しが一般人に戻るための卒業をした身としてはそう思えます。

つまり、「卒業するためのアイドル」もそこまで悪くないのではないでしょうか。

夢までも応援する

推すとは何か。
その人の成功を応援することではないでしょうか?
理想や夢や望む形があるからこそ、それの実現のために応援する。

ただ、応援とは全てを許容することとは違います。
現場に通い続けるうち、あるいは何かのきっかけで、アイドルの理想が自分の望む形が食い違うことはあるでしょう。
アイドルとしての成功を望むのは自由です。アイドルを通過点としてるアイドルを応援できないということは大いにあるでしょう。
それこそ推し変なのではないでしょうか。「もうこの子は応援できない」というのはそのためにあります。
あなたは客です。なので応援できない人から推し変する権利はあります。
しかし、自分のエゴを押し付けてアイドルの夢を否定したり妨げたりする権利はありません。

可愛いから推す、現場が楽しいから推す。
「推す」という言葉は現在非常に簡単に使われます。
それはどこか暗黙のうちに「アイドルとして」という修飾があるように見えてなりません。
箱推し(ユニットそのものを推す)ならさておき、あなたが推してる人はアイドル以前に個人です。
応援する以上、やっぱりその個人の夢まで応援してあげたいものです。

通過点の住人として

アイドルを「卒業」と表現するのはどうなのか。

卒業というのはよく「学校を」という文脈で使われます。
学校とアイドルは非常に似ている気がします。
秋元康が前述のように言っていますが、どちらも人材を送り出す回路です。
なので終わり、つまり卒業は予定(あるいは期待)されているものです。
大きな違いと言えば予定されている卒業までの期間が定めれているか否かくらい。
そういう意味では「アイドルの卒業」って非常に的を得た表現ですね。

卒業は予定(期待)されたものである以上、それまでの期間はどうしても通過点になる。
通過点の住人である僕たちドルヲタは、アイドルの卒業を覚悟し卒業へ向かっていかなければならないのです。
なんか本当に学校の教師みたいですね。
ただし僕たちはその後の進路に携わることもできるという意味では教師よりも幸せかもしれません。

ちょっと前のツイートですが、でんぱ組.incの最上もがちゃんが言ってたことを掲載します。

 

僕達が応援すればするほどアイドルが「いつか」に近づいていくのは皮肉なことです。
でも僕達はその「いつか」に向けてアイドルを推している。
アイドルもその「いつか」を夢見ている。

人の夢云々言う前に自分はどうなんだちょっと良いこと言ったと思っているので野暮なこと言うのはやめてくださいね!

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